「ここね」
 階段を昇りきり、スピカは大きな扉の前に立っていた。
 大きく深呼吸をしてスピカは扉を押す。
 低い音が響き扉の中の様子が見えてきた。部屋は暗闇しか無く、明かりがなければ何があるのか分からない。
 扉を開ききり、スピカは皮の袋からランプを取り出し、明かりを灯して中を進んだ。
 いつ襲撃されてもいいように、短剣を右手に持つ。
 「ハンス、どこなの?」
 スピカはランプの明かりを元に、前へと進む。
 本当ならばランプは敵に見つかるので点けない方が良いのだが、弟に会いたい気持ちが強く、明かりを灯したのである。
 ハンスと離れてからの生活は、頼る者も無く、信じられるのは自分だけだった。
 就いた賞金稼ぎの仕事は収入が不安定で、豪華な食事も食べられる時もあるが、収入がないときは食事もままならず、一週間パン一つ買えない日もあった。
 ハンスは今までどんな生活をしていたのか? 彼の姉としては非常に気がかりだった。殺人鬼になる位なのだから、真っ当な人生を歩んできたとは考えにくい。
 「私はここにいるよ、お姉さま」
 突如、男の声がスピカの鼓膜を叩きつけ、スピカは声のした方にランプを向けるが誰もいない。
 「ずっと離れていたけど、単純なところは変わっていないね」
 再び声がして、スピカは振り向こうとしたができなかった。
 何故なら、背中に冷たい刃先が当たり、下手に動けば刺さるからだ。
 命の危険からか、緊張のため冷や汗が額から流れ落ちる。
 スピカは前を向いたまま、刃を向ける相手に質問する。
 「本当にハンスなの?」
 「そうさ、数年前に森の中で脱走した際に、お姉さまとは離れ別れとなったんだよね」
 声の主が指を鳴らすと、突然部屋が明るくなり、ほぼ同時に刃が下ろされる。
 後ろを向いても良い、という合図のようだ。
 スピカは素早く後ろを向くと、そこには成長したハンスの姿があった。
 背はスピカよりも高く、紫色の双眸は鋭い輝きで、噂どおり体つきは細い。
 スピカは再会できた喜びのあまり泣きそうになった。ずっと捜し求めていた弟が目の前にいる。
 ……生きててくれて良かった。
 スピカは心の底から思った。
 時には二度と会えないのでは、と不安になって眠れないこともあったが、こうして再び出会えたことにより、負の感情は吹き飛んだ。
 仕事のことを頭の隅に置き、スピカはハンスに訊ねる。
 「あなたは今まで何をしていたの?」
 「私はお姉さまと別れてから闇の集団に拾われたんだ。そこで剣の腕を磨きつつ、下積みの仕事をしていたんだ」
 ハンスはスピカの周りを歩きながら、自慢げに語る。
 話している時、ハンスの表情は輝いていた。
 闇の集団は、麻薬の密輸、違法な武器の売買。時には暗殺の仕事をする危険な存在で、警備隊が目を光らせている組織である。
 「お姉さまも分かってるだろ、今は世間を苦しめている殺人鬼さ、私はお父さまに仕込まれた武術で沢山の人を殺してきたんだ」
 ハンスは再び指を鳴らすと、天井から複数の影が紐にぶら下がった状態で、スピカを囲むように落ちてきた。
 その正体に気付き、スピカ「ひっ」と高い声を上げる。
 複数の影は全て人で両足を紐で縛られ逆さづりの状態である。四人の顔はいずれも苦痛で歪んでおり、悲惨な死を遂げた事を物語っている。
 先ほどから気になっていたが、部屋を明るくしたり、人の死体を複数降ろすことからすると、仲間がいるのは確実だ。
 人数ははっきりしないが、圧倒的に不利な状況だった。
 ……考えが甘かったわ、仲間を連れて来るんだった。
 スピカは今になって単身で来たことに後悔した。信頼する仲間はいたが、あまりに危険な任務だったため、一人で請け負ったのだ。
 スピカが後悔の念を抱いているとも知らず、ハンスは話を続ける。
 「どうだい、それは全て私がやったものさ、全部良い顔してるだろ? そいつ等全員素晴らしい断末魔を聞かせてくれて面白かったよ」
 ハンスは話している時は口元を緩めていた。人の命を何とも思っていないと宣言するように。
 「私はね何十人もの人を殺しまくってきたんだ。殺人鬼と騒がれている以前もね
邪魔な盗賊、薄汚い政治家、下種な人間もね、闇の集団に拾われてからは楽しい事の連続さ」
 ハンスが話している中、スピカは囲んでいる死体を観察した。
 四人の死体には、胸や腹に複数の刺し傷があり、全ての傷はハンスの仕業に違いない。
 スピカは仕事柄、何度か死体を目にしているが見ているだけで気分が悪くなる。
 その上、ハンスが四人だけでなく、沢山の人の命を奪ったのだから最悪な気分だった。
 「罪悪感は……無いの?」
 「無いさ、むしろ楽しく思えるね、どんな悲鳴や顔を見せてくれるのか見たくてたまらないんだよ」
 「……」
 スピカの表情は曇った。棘が刺さったように心が激しく痛む。
 再会した喜びの感情は、降って来た四人の死体と、ハンスの言葉により吸い込まれ、新しく現れたのはハンスの変貌に対する苦痛と悲しみだった。
 昔は動物をこよなく愛し、蟻一匹すら殺すことのできない優しい少年だった。可愛がっていた小鳥が死んだときは三日間泣き続けた。
 時が経ては子供が大人になり、小さかった芽が大きくなって綺麗な花を咲かせるように、目に見える形の変化は仕方が無かった。
 しかしハンスの変わりぶりは受け入れられない。
 ここに来るまで、何人もの人を手にかけた言う資格は無いが、スピカはどうしても言いたかった。
 スピカは身を屈め、四人の死体から抜け出し、ハンスに問いかける。
 「お父さんは、人を傷付けたり苦しめることに剣は使うなと言ってたよね、忘れてしまったの?」
 「はっきりと覚えているよ、耳にたこができるほど聞かされたからね、お父さまには感謝しているよ」
 ハンスは不愉快と言わんばかりに表情を歪める。
 双子の姉弟は、元・騎士の父親と、美人で評判の良かった母の元に生を受けた。
 父は二人の姉弟に強くなってもらいたいと思い、五歳の時から毎日剣術を教えるようになった。
 剣術もそうだが、戦いにおける苦痛や悲しさ、そして人の命を奪う恐ろしさも学んだのだ。
 スピカは飲み込みが早く、町で行われる大会でわずか六歳で優勝するほどの腕前になり、父を驚かせた。一方ハンスは剣術はからきしで、小鳥の世話をする方が性に合っていた。
 「……わたしはあなたと再会できて本当に嬉しかったの、元気でやっているのかあなたが生きているのか心配で夜も眠れない日もあったのよ
 賞金稼ぎの仕事も、各地に回ればあなたの手がかりが得られるんじゃないかって思って就いたの……あなたが偽名を使って暗躍していたなんて知らなかったわ、おまけにすぐ近くにいたなんて驚いたのよ」
 ハンスが家族と過ごした日々を忘れていなかった安心からか、スピカは気持ちを打ち明けた。ハンスの心に届くように。
 賞金稼ぎの仕事は、色々な場所に行くためハンスに関する手がかりを掴める。そう思ったのだ。しかし現実は甘くなく、中々思うような情報が手に入らず。仮に入ったとしても全て外れだった。
 だが、今回の殺人鬼退治により、思わぬ形で再会したのである。
 「あなたが悪い方向に変わったのは悲しい。わたしだけじゃない、天国にいるお父さんとお母さんも同じ気持ちよ」
 「……それで、闇の集団から抜けろなんて言うんだろ?」 
 ハンスは抜いた長剣で自分の右肩を軽く叩く。
 スピカは言いたいことを先に言われ、黙り込んだ。
 「図星のようだね、お姉さまの考えは大体分かるよ、昔から家族のことになると熱くなるのは変わらないねぇ」
 ハンスは小馬鹿にするように、鼻先で笑った。
 「残念だけど、私は抜ける気なんて全くないよ、さっきも言ったけど仕事が楽しいんだよ日によって服や食事もままならない誰かさんとは違って、給料も良いんだよ」
 ハンスはスピカの目と鼻の先まで近づき、真実を突く。
 恥ずかしさのあまり、スピカの頬と耳の後ろは紅潮した。
 ハンスの指摘どおり生活は決して楽とはいえない。綺麗な服も買えず、街で可愛い服やアクセサリーを身に着けている女子に比べ、スピカは女らしさ欠けている。
 一方ハンスは一流の武器屋で売っている剣を持ち、彼が巻いている腰のベルトも高級品である。だが、スピカが可愛い服やアクセサリーを我慢してきたのは、ハンスの捜索や手がかりを掴むためであった。
  捜し求めていた本人に馬鹿にされるのは耐え難い屈辱だ。スピカの全身は怒りによって大きく震える。
 ……全てあなたを見つけるために我慢してきたのにひどいよ。
 怒りが頭の中で一杯だった。今にも噴出しそうなくらいに。
 女らしくないが、弟の頬に拳を叩きつけたいという衝動に駆られた。ハンスは闇の集団により心も性格も捻じ曲がってしまったのだと思った。人の苦労を馬鹿にしている態度が許せなかった。
 湧き上がる怒りを必死に抑えた。殴ってハンスの心が変わるとは到底思えない。
 ハンスの言動を考えると、自分だけの中傷では飽き足らず、亡き両親のことも馬鹿にする可能性も捨て切れなかったので、スピカはひたすらに耐えた。
 七歳の誕生日に暗殺されるまでの間、愛情を注いでくれた両親への侮辱をハンスの口から聞きたくなかった。もし言えば今度こそハンスを問答無用で殴りかかるだろう。
 思うような反応を得られずつまらなくなったようで、ハンスは笑みを消す。
 「おやおや、これだけじゃ火付きにもならなかったかい、じゃあしょうがないね」
 ハンスは紫色の瞳が怪しく輝く。
 次の瞬間、複数の人影が降りて来た。今度は死体ではなく生きた人間だった。
 一人一人の手には武器が握られている。

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