わたし達は共にお腹にいたのに。
 生を受けてからというものの、待遇は全然違っていた。
 わたしは常に幸せが満ち、何一つ不満など感じさせなかった。
 だけどハンスは、後から生まれてきたという理由だけで、冷たい目線を浴びてきた。
 わたしの家は、跡取りは一人だけという考えが浸透していた。
 ハンスは生を受けるべき人間では無かったのだ。親族の集まりの時に聞いてしまった。
 わたしはハンスが受ける苦痛を理解するために、度々入れ替わった。
 ハンスにわたしの幸せを与えるために。
 幸せは暖かくて、ずっと笑っていられるのだと知ってもらいたくて。
 どうして一緒に幸せになれないんだろう、わたしは差別する両親を恨んだ。
 同じ日に生を受けたわたしだけは、ハンスの味方でいようと思ったの。

 わたしはね、あなたに幸せになってもらいたい。
 家のことは、わたしに全部任せて、あなたは外の世界で自由に過ごしていい。
 常に笑っていて、誰からも好かれて、大人になったらあなたを理解してくれる人と結婚して家庭を築くの。
 神様、あなたがいるのなら、なぜハンスにこんな仕打ちをするの?
 お願いだから、もうハンスを苦しめないで……

 「ハン……ス?」
 スピカの唇は小刻みに震えた。ハンスからはおぞましい憎悪と怨恨が体から放出している。
 スピカに対するものか、それとも別の何に対するものなのかは不明だ。判別がつかなくなるほどに凄まじい負の感情である。距離があってもはっきりと分かる。
 背中に一筋の汗が流れた。スピカは後ろに下がるため、足を動かそうとした。
 が、人影に阻まれて退路を失い、スピカはとっさに振り向くと、そこにはアークがいた。
 「逃げる事も無いだろ、オマエの弟が真の目覚めを迎えたのだからな」
 肩に強い力が加わり、スピカは表情を歪める。
 アークは万遍の笑みを見せていた。
 「言っただろ? 駒が揃ったってな」
 赤い瞳を細め、アークは毒を吐く。
 「長い時間がかかったがようやくデモートは覚醒した。これで始末できるな、スピカ、オマエの手でな! 感謝しろよ、あいつはわざと成長を遅らせたんだ。どちらかを戦い合わせるためにな、デモートは俺の僕の中で最弱だが、残忍な所は健在しているんだよ」
 興奮しているためか、アークは先ほどより口調が変貌している。
 デモートを始末できる喜び、そして双子を戦い合わせることに対する関心がにじみ出ている。
 悪趣味な男、とスピカは思った。
 アークの言葉がきっかけとなり、スピカの中で謎がゆっくりと形を作り、一つの答えが生まれた。
 「わたしとハンスを会わせたのも、この日のためだったのね? 四年前に一度は双子は再会したけどどちらもデモートの力が満ちていなかった。わたしを死刑から解放したのも、デモートの片割れを持つわたしが死んでしまうと一つにならない」
 スピカは一息ついて、早口で言った。こうして話している間にもハンスは近づいている。
 ハンスの足は亀並みに遅いが、不安で仕方が無い。
 「そして四年後の今、わたしもハンスもデモートの力が満ち、双子が戦い合うには好条件になった。さしずめこんな所かしら」
 アークは、その通りだと短く答えた。
 十一年前に憑いた悪魔は、家族を滅茶苦茶にしただけでなく、双子を戦わせるために力を蓄えていた。いずれにしても戦いは避けられない。
 この男で、この僕……闇の集団はとてつもなく最悪だ。いずれにしても組織ごと完全に潰す必要がありそうだ。
 スピカの複雑な心境を無視し、アークは口を開く。
 「デモートは闇が深いハンスを乗っ取る事を選んだようだな、難を逃れて良かったな、一歩間違えていればオマエだったんだからな!」
 アークはスピカの顔を覗き込む。悪意に満ちていて不気味である。
 スピカは勇気を出して訊ねた。
 「ハンスを元には戻せないの?」
 「残念だがああなってしまったら倒すしかない、早くしないとデモートはこの街を破壊しようと動き出すぞ? ハンスも大嫌いなお姉さんに止めてもらうことを望んでいるだろうな、毎日ハンスはオマエを憎いと呟いていた、オマエよりも強くなって見下してやりたいという目標を持っていた。俺としても部下を失うのは悲しいが、これも運命というものだな」
 突き刺さる言葉にスピカの胸はひどく痛んだ。ハンスに嫌われているのは、心のどこかでは分かっていた。
 再会した時のハンスがスピカに向ける眼差しは、凍てつくほどに冷たかった。
 スピカはアークの手を振り払い、ハンスの元に急ぐ。
 アークの言葉を受け入れられなかった。入れてしまえば終わりだからだ。胸の中に残る希望を捨ててはいなかった。ハンスは元に戻ると、信じたかった。
 ハンスに憎まれようが、嫌がられようが構わない、それは今まで彼を探せなかった事に対する代償だからだ。
 「さて……俺は行くとしよう」
 アークは魔物の群れと共に姿を消し去った。彼にとって双子の末路より、次の仕事に取り掛かりたかった。
 
 「ハンス!」
 ゆっくりと歩くハンスの前に、スピカは立ち塞がる。
 武器を出さず、両手を上げた。
 ハンスは足を止め、スピカを黙ってジッと眺める。
 「わたしよ! あなたの姉のスピカよ! お願いだから目を覚まして!」
 スピカは訴えかけた。ちょっとでもいいからハンスに届いて欲しかった。
 だが、現実はスピカの想像を裏切るものだった。
 ハンスはスピカの首を掴み、スピカを軽々と宙に浮かべ、いつもと違う声で話した。
 「誰かと思えばお前か、ハンスの体は頂いた。お前の弟を返す気はさらさらない」
 ハンス……いやデモートは手の力を強め、スピカの表情は苦痛に歪む。
 本当ならば、武器で相手を攻撃している所だが、ハンスを傷付けたくはなかった。
 「長い間有難うよ、お前の体をずっと借りていたがもう用は無い、俺の手で葬ってやろう」
 デモートは歯を見せて笑った。
 邪悪に満ちた顔からは、ハンスの気配すら感じられなかった。
 「やめて……あなたはそんな悪魔に負けるほど弱くは無いわ、お願いだから目を覚まして……ハンス……わたしが知っているあなたに戻って……」
 弱々しい声でスピカは言った。彼女の脳裏には動物思いで優しかった頃のハンスが鮮やかに蘇っていた。
 箱を開ける事を止めていれば、お互いが戦いに合わずに済んだかもしれない。例え闇の集団が襲い掛かることは回避できなくても、違った未来が待っていたかもしれない。
 些細な間違いによって、人の未来は大きく変わってしまう、望まない未来に辿り着いて初めて後悔し始める。スピカは後悔が山ほどある未来に着いたのだ。
 だからこそ過ぎ去った昔より、幸福になれる今の時間を守りたかった。無謀だとは分かっていてもハンスを取り戻したい。スピカの願いはそれだけである。
 もしハンスが戻せないのであれば、この命を投げ出してしまっても構わない。ハンスは共に生まれて、同じ時間を過ごしてきた兄弟だからだ。
 ひとりぼっちで生きていくことなど想像もつかない。
 スピカはもう一度言った。
 「ハンス戻ってきて、お願い……わたしのことを嫌っていてもいい、どう思おうがあなたの気持ちはあなたのものよ」
 「まだ諦めていないのか、お前も懲りない女だな」
 「いくらでも言うがいい、ハンスが戻るまではこの身がどうなろうと構わない、わたしがハンスよりも三分も早く生を受けたんですもの、守ってあげるのが当然だわ」
 スピカはデモートと化したハンスの手を握り締めた。肌の温もりが伝わってくる。
 デモートの表情に変化は無い、それでもスピカは話し続けた。
 魔物に乗っ取られたとしても、心のどこかにいるハンスに伝わると信じて……
 「ハンスはお前になんか負けない強さを持っている。わたしはそれを信じている。闇よりも、絆の方が深いの、何よりもずっとね」
 スピカは紫色の双眸を閉じ、思い出を紡いだ。
 「覚えている? わたしと一緒に家を抜け出して草原で鬼ごっこをして遊んだよね、あなたを追い掛け回しても、ちっとも捕まえられなかった。頭にきてわたし一人で家に帰ったけど、その後あなたは家に戻ってこなくって心配した、ちゃんと探してあげるんだったって後悔した。
 あなたと森を逃げた時も、もっと早く逃げられれば、離れてしまうことも無かったんじゃないかって、自分を責めたわ
 考えてみると、わたしはあなたをちゃんと見てなかった。あなたが心の痛みに耐えて我慢しているのに、わたしは見て見ぬ振りをしていた」
 スピカの心は冷たい嵐が吹き荒れる。ハンスは二番目に生まれてきたという理由で、家族から疎まれていた。
 もしも、スピカが後に生を受ければ、ハンスと同じ境遇に立たされていたに違いない。
 「ごめんね、あなたが歪んだのも、元はといえばわたしがいけないんだよね。わたしがあなたよりも早く生まれたからと自惚れていた。あなたが傷ついているのを知っていて……本当にごめんなさい」
 スピカは涙を流し、溜め込んでいた後悔を口に出した。
 謝罪しても、簡単には変わらないが、正直な気持ちを言わない方がずっと辛い。
 涙が頬を伝いハンスの腕に落ちた時、突然相手の力が緩み、スピカは地面に落下した。
 喉を押さえ、何度も咳き込み、スピカはハンスを見た。
 ハンスは頭を抱え、地面の方を向いていた。うううっ……と苦しそうな呻き声を発している。
 「ハンス……?」
 スピカは何もせず、ハンスの変化を見守った。
 
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