「へえースッピーに弟がいたなんてな、びっくりだぜ」
 病室内に、陽気な声が響き渡る。
 声の主であるアディスは、両手を後ろに組んで、スピカに微笑む。
 ちなみにエレンも来ているが、買い物に出かけている。
 「塔で見た黒い髪の奴か?」
 アディスの問いかけに、スピカは黙ってうなずく。
 アディスは顎に指を当て、考える姿勢を取った。
 「なるほどな、そいえばどことなくスッピーに似てたよな、年はいくつだ?」
 「わたしと一緒に生まれてきたの、だから年は同じよ」
 「つまり双子か、羨ましいよな、年がちょっと上だからってあーだこーだ意地悪するような事が無くてさ」
 アディスは椅子を上下に揺らし、愚痴っぽく言った。
 スピカは溜息を漏らす。
 「双子でも大変なのよ、お互い荷が重いことをやらされていたわ」
 スピカは天井を見上げて、幼い頃の記憶を呼び起こす。
 スピカは剣術を、一方ハンスは良い学校に入るための教養を習わされていた。時には容姿が似ていることを利用して入れ替わり、お互いの苦しみ、痛みを分かち合ってきた。
 親や使用人の目を盗み、同年代の子供達と遊ぶが、双子にはない自由気ままな姿が羨ましく思えた。
 「スッピーの家ってお金持ちで、その分親から色んな教育を受けなきゃいけなかったんだよな」
 椅子を止め、アディスは真面目な口調で言った。
 スピカは表情を曇らせる。
 「あの頃を思い出すと、賞金稼ぎの生活がどれだけ人間らしいかが分かるわ、お金には困るけど、自分の力で生きてるって痛感できるの……あとはハンスがいれば良いのに」
 スピカは頭を軽く横に振る。
 子供の頃のように色々と押し付けられたりしない、今は自分の意思で選択している。苦労はあっても満足している。
 「色々大変だったんだなスッピーも、オレだけじゃなくて安心した」
 アディスは口元を緩める。スピカの事が分かって良かったと満足しているのだ。
 スピカは今まで家族の事を口にしたことがない。
 アディスとエレンも信じてはいるが、家族の事に触れられると適当にはぐらかしてきた。幼い頃の思い出を語ってもつまらないと思ったからだ。しかし今は違う、弟のハンスが闘うべき相手になり、過去が伝えるべき情報に変化したのである。
 「アディスはお兄さんを見返したくて家を出たんだよね? お兄さんってどんな人なの?」
 スピカはアディスの顔をじっと見た。アディスの家族の事も知りたいという知的好奇心からである。深い所まで踏み込むのは初めてである。
 アディスは急に怒ったような表情に変わる。
 「うるさい兄貴だったぜ、仕事で忙しい親父とお袋に代わってオレの面倒を見てたんだけど、食事の仕方が悪いと怒鳴るし、剣の稽古の時は持ち方が違う! とか気合を入れて切れ!とか言ってよ、酷い時は何度も叩かれたこともあったんだぜ、ケンカもしたけど、オレよりも八つも離れているから、力はオレより上だしよ、いつもオレは負けるんだ」
 アディスは指をポキポキと鳴らした。
 アディスの実家は一流の騎士を育成する養成所で、アディスは八つ年上の兄に恥じぬように剣の稽古を受けてきた。物覚えが悪く、何度も同じ間違いを犯し、兄に怒られていた。
 アディスも兄の期待に答えようと懸命に努力したが、剣の上達はとてつもなく遅かった。
 アディスは両腕を組んで、家族の話を続ける。
 「オレの家出を決意させる事件が起きた。オレが十二歳のだったな
 年に一度、剣の腕を競う大会があったんだ。全力を出したんだけど、オレは最下位だったんだ……悔しかったな、本当に泣けるぐらいによ」
 アディスは搾り出すように言葉を発した。
 いつもの明るいアディスからは想像できないほど辛そうな表情に、スピカの胸は痛む。
 努力して報われない程、悲しい事は無い。
 「大会が終わった後に、親父に呼び出されて罵声を浴びせられたんだ。たださえ悔しい気持ちで一杯だったのによ、余計に空しくなった。
 止めを刺したのは兄貴の言葉だった「お前みたいな屑は俺の弟ではない」ってさ、あんまりにグサッと来て、気づいたときにはオレは荷物を纏めて家を飛び出したんだ」
 アディスはズボンをきつく握る。
 「その後は生き延びるために様々な仕事を経験したけどさ、長続きしなくてよ、ダチの紹介で賞金稼ぎの仕事に就いて、スッピーとエレちゃんに出会ったって訳さ」
 「……」
 話を聞き終え、スピカは黙り込む。
 アディスの生い立ちは、彼の明るい性格からは考えられないほどに、困難と苦悩に塗り固められていた。
 家族に認められず。思うような結果が得られずに家族にも冷たい言葉を投げかけられる。
 肩身の狭い思いをしてきたことが伺える。
 アディスはふぅ……と軽い溜息をつく。
 「まあ、こんな所だな、家族にはあまり良い思い出がないんだ。兄貴の痛烈な一言があってからは尚更な」
 「……ごめんなさい、そんな事があったなんて知らなかった……」
 スピカは下を向いて謝った。知的好奇心とはいえ、彼にとって傷口に塩を塗る真似をしてしまい、とても後悔した。
 アディスは暗い表情から一転し、何時もの明るい顔に戻った。
 「そんな気にすんなよ、 もう終わっちまったことだしな、昔は恵まれていなかったけど沢山のことを学んだんだ。全てはオレに必要なことだったと思う、ほらよく言うじゃん『過去は変えられないけど未来は真っ白な地図だから変えることができる』ってな」
 「どうして陽気でいられるの?」
 スピカは顔を上げずに質問をする。
 「オレは一人じゃないから、ダチや仲間もいるからな、ちっとも辛くはないよ」
 アディスは力強く言った。存在を否定する家族よりも、ありのままの彼を受け入れてくれる仲間や友達が彼の心を癒すのだ。
 「あなたが羨ましいわ……常に前向きでいられるなんて」
 スピカはアディスを褒めた。スピカは過去の境遇もあって前向きになることが中々できない。アディスの明るさが太陽のように見える。
 「そんなシケた顔すると、幸せが逃げちまうぞ! もっと笑おうぜ!」
 アディスは歯を見せて笑いながら、スピカの両頬を引っ張る。
 「ひょっと、なひすんのよ!」
 「これでスッピーの人生が上手くいくようになるよ、ハンス君もスッピーのために更生し、毎日幸せになれるさ」
 アディスは手を離し、スピカは頬をさすり、口を尖らせる。
 「暗い顔をしているより、思い切り笑ったほうが楽しいぜ、過去のグダグダよりも未来を描かないとな!」
 椅子から立ち上がり、アディスは「用事を思い出したから、エレちゃんに帰ったって伝えてくれ」と言い残し病室を後にした。
 「もう……アディスったら」
 一人になったスピカは、小さく微笑む。
 暗い過去を背負いつつ精一杯生きているアディスの姿が、スピカの励みになった。
 「未来のほうが大切よね、できる限りのことは頑張らないとね」
 スピカは横になった。これからの未来は明るい方向に変えたい。
 それが、自分のためになるなら
 それが、ハンスを救う力になるなら、何が何でも抗いたい。
 スピカは暖かい希望を胸に、眠りについた。
 彼女の儚い希望は、過去の悪夢によって掻き消されてしまうとも知らずに……
 
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