わたしは狭い牢屋の中に閉じ込められていた。
 蝋燭の明かりが内部を照らし、薬の匂いが鼻腔を刺激する。わたしはすることが無いので呆然と部屋を眺めている。
一体いつからだろうか? もう随分長い事、この場所にいる気がする。
なぜ捕まったのか?
いつ出られるのか?
それすら分からない。
 いや……あったのかもしれないが、頭の中の記憶が濃い霧に隠され、思い出そうにも引きだすことはできない。
 キィイイイ……
 無機質な音がわたしの耳に飛び込み、わたしは視線を向ける。
 そこには一人の男が立っていた。髪も瞳も黒、いつもの紳士服を着ている。
 「調子はどうだ?」
 男は訊ねた。わたしが生き延びられるのは彼のお陰。
 彼は必要な時に食事や着替えなども持って来てくれる。わたしが病気で倒れた時には医者を呼んでくれる。もしも彼がいなければ、わたしはとっくに日干しになっていただろう。
 「ええ……何ともないわ」
 わたしは腰を上げて答えた。
 彼からトレイを受け取ってわたしは食事を始めた。彼の目線を感じる中で。
 ……ここまでわたしの世話をしてくれる彼は何者なのだろう? 名前は聞いたけど彼の素性は分からないままだ。
 聞きたいが、聞いた途端にこの生活が崩れてしまうのでは、と不安になり心の中に言葉を封印している。
 両手足が自由になっている今、脱走しようとすれば可能だと思うが、記憶が曖昧な中どこにいけばいいのか分からない。
 彼無しでは生きていけないからだ。
 しかしわたしが食事を摂取する音しか響かず。重い雰囲気を感じ、わたしは口の中の物を空っぽにして彼に訊ねた。 
 「ルイーゼさん、あなたに聞きたいことがあるんですけど、良いですか?」
 わたしは後ろを振り向き、壁際でわたしを見守る彼に目を合わせる。
 「どうした?」
 彼はわたしに近づいてきた。
 「わたしは何か悪いことをしたのですか? 牢屋は悪人を捕らえるために利用すると記憶にあるのですが」
 今までわたしの中に秘めていた疑問をぶつけた。正直言って不安でたまらないが、このままモヤモヤした状態ではすっきりしない。
 ずっと聞きそびれていたが、今回は勇気が背中を押してくれたお陰で、ようやく言葉を表に出すことができた。
 わたしは記憶を失っている部分が多いが、生活に必要な情報は残っている。
 すると、彼はわたしの肩にそっと手を置いて、首を横に振る。
 「お前は何もしていない、時期が来れば必ず出られる。今は辛抱して欲しい」
 彼は真剣な面持ちで言った。こんな彼の顔をわたしは初めて見た。
 彼の発言からして、わたしが外の世界に出られることが不都合なようだ。どうしてかは定かでは無いけれど、きっとわたしの中に埋もれた記憶が関係しているに違いない。
 記憶を失うほどだから、酷いことがあったんだわ。
 「わたしの記憶が無いのと関係ある?」
 「ああ、詳しくはここを出る時になったら話す」
 「そう……分かったわ、ありがとう」
 わたしは空になった皿のトレイを地面に置き、彼に礼をする。
 わたしが捕まった理由が罪を犯したので無くて安心したのと、いつかは牢屋を出られる。二つの疑問が解消できて良かった。
 牢屋の中の生活は正直辛いが、彼の話を聞いて少しは気分が和らいだ。
 
 数分後、彼は牢屋を後にした。
 冷たい牢屋は相変わらずだが、わたしの胸には心なしか暖かい気持ちが留まっていた。

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