「おい、佳之子また僕の消しゴム持ってただろ」
柾はリビングのソファーで寝そべっている佳之子に言った。
「消しゴム忘れてきたから借りちゃった」
佳之子は悪びれる様子は無かった。柾はうんざりした気持ちになった。
「返せよ、あれは僕のだぞ」
「お兄ちゃんたくさん持ってるじゃん、一個ぐらい良いでしょ?」
佳之子の言うように、柾は消しゴムを多く持っている。
だがそれは勉強用であって、佳之子のように落書きを消すためではない。
「だからって人のものを勝手に持ち出すなよ」
柾は怒りを滲ませた。
佳之子は無断で柾の私物を持ち出す癖がある。
度々注意しているが、直る気配がない。
佳之子に詰め寄るのは時間の無駄だと感じ、柾は佳之子に背を向けた。
柾は高校受験のために勉強しなければならないからだ。

「ねえお母さん」
夕飯の時、佳之子が母親に声をかける。
「何?」
「今度ピアノの発表会があるでしょう……それで……その……」
佳之子は落ち着きなく視線を動かした。
佳之子は何か欲しいときは決まってその仕草をする。
柾は佳之子のその癖がわざとらしく感じて好かない。
「……新しい服だろ? はっきりそう言えよ」
ご飯を飲み込み、柾は刺のある言い方をした。
佳之子はピアノ教室に通っており、発表会がありお洒落な服が必要だという。
佳之子は柾を軽く睨んだが、すぐに母の方に向き直る。
「新しい服は週末一緒に見に行きましょう」
「本当? やったあ!」
佳之子は嬉しがった。
母は佳之子には甘いと思った。新しい服は前に買ったばかりだからだ。
それに引き換え柾は新しい自転車が欲しいとお願いしたのに受験の邪魔になるからと断られたからだ。
消しゴムのことは母に言ったものの、やんわりと注意しただけだろう。
……やってられない。
女子二人が盛り上がっている中、柾は食事をさっさと口に運んだ。
「……ごちそうさま」
柾が席を立つと、母が柾に話しかけてきた。
「あら、もういいの?」
「全部食っただろ」
柾は乱暴に椅子を戻し、足早に席から離れた。
背後から母が佳之子に柾のことを話しているのが聞こえてきた。お兄ちゃんは受験でストレスが溜まっているのよと。
柾は思った。受験だけでなく佳之子のこともストレスだと。
そう言いたかったが、柾は自分の部屋に戻った。

それから数ヵ月後
柾は志望の高校に合格したのだった。両親は大喜びしレストランでパーティーを開いた。
食事は柾の好物であるステーキだ。
「良かったな柾! 父さん嬉しいぞ」
頬を紅くして父は笑顔で言った。
滅多にアルコールを口にしないが、柾の合格にテンションが上がり酒を飲んでいる。
「父さん、飲み過ぎだよ」
柾は言った。
母は明るい表情で肉を口に運び、佳之子は黙々と食べていた。
こうして家族揃って食事をして、受験から解放されたなと思った。それまでは空気が緊迫し、居心地が悪かった。
佳之子は柾が困ることを平気でして、口喧嘩になったことが再三あったものの高校に受かるために我慢してきた。
「お兄ちゃん」
佳之子が柾に目を向けた。
「合格おめでとう」
佳之子は祝いの言葉を述べる。
ぶつかり合っても言ってくれるだけ有り難いなと柾は思った。
「あ……ああ」
柾は少しだけ笑った。
受験を終え、これで佳之子の行動に一々いらつかないで済むと感じた。受験が始まる前までは笑い合える仲だったからだ。
楽しい時間は数日後に吹き飛ぶことを柾は知るよしも無かった……

「どうしてそんな勝手なことをしたんだよ!」
柾の怒声が佳之子の部屋に響く。
怒鳴られている佳之子は怯えた表情で柾を見る。
「だ……だって……あのカード使ってなかったじゃん」
佳之子は消え入りそうな声を出す。
柾が怒る原因は、部屋を掃除している時に大切にしていたカードか無くなったことに気付き佳之子に問いただした所無断で持ち出した挙げ句に友達にあげてしまったのだという。
「だからってあげて良いのかよ! 勝手過ぎるだろ!」
柾は声を荒げる。
持ち出されたカードは中々手に入らない貴重な物で、簡単には買えないものだ。
「……ご……ごめん」
柾の様子に悪いと感じ佳之子は謝罪を口にする。
これまでは我慢してきたが、今回はあまりにも限度が過ぎているので堪忍袋の緒が切れた。
柾は佳之子を突き飛ばした。佳之子は体勢を崩し地面に倒れこんだ。
「謝って済むと思うなよ! お前のしたことは犯罪だぞ! 許されると思ってんのか!」
柾は佳之子の謝罪を一掃した。
佳之子の両目に涙が溜まり、泣き声を上げて部屋を出ていった。
泣きたいのは自分だった。鍵をかけて保管していた大切なカードを勝手に開けられて持ってかれたからだ。心に土足で踏み入れられた気分だ。
柾は佳之子を許せそうにも無かった。

その日の夜、柾は母と佳之子の三人で今日の出来事について話をしていた。
「佳之子……そんな事したら駄目でしょう、お兄ちゃんの大切な物なんだから」
母は佳之子に注意をした。
佳之子に甘いが今回ばかりは注意せざる得ない。
「だって……使ってなかったから……」
「使って無くても、勝手にあげるなんて良くないわ、佳之子が逆にされたらどう思う?」
母はきっぱり言った。
佳之子は俯いたまま考えた。しばらくして顔を少し上げる。
「……嫌だ」
「ならお兄ちゃんに謝りなさい」
「お兄ちゃん……カードを勝手にあげたりしてごめんなさい」
佳之子は声を震わせて頭を下げた。
母に叱られるのをみて胸はすっとしたが、気が収まらない。
「そのカード誰にあげたんだよ」
柾は怒り混じりに訊ねた。
「……木之本くん」
木之本くんは佳之子の仲の良いクラスメイトで一緒に遊んでいる。
柾と同じくカードゲームが趣味である。
「返してもらえるよな」
柾は問いかける。
佳之子は途端に口を閉ざし下を向く。柾はいらついて机を叩いた。
「黙ってないで何とか言えよ」
興奮した柾に、母がすかさず肩に触れる。
「柾、落ち着きなさい、そんな態度だと佳之子が話せないでしょう」
母の言葉に柾は冷静さを取り戻し、席につく。
怒っても問題がこじれるのは明白だからだ。
佳之子は聞こえるか聞こえないほどの声で話し始めた。
「……木之本くん引っ越すから……それで……私のこと忘れてほしくなくて……」
「それであげたんだな」
柾の問いに、佳之子は静かに頷く。
「引越しは明日よね、お母さんと一緒に木之本くんの家に行こう」
「僕も行くよ、佳之子は信用できないからな」
「柾、そんな言い方したら駄目よ」
柾の喧嘩腰の態度に母は注意した。
「お母さん、木之本くんの家に連絡するから」
母はリビングを去り、柾は佳之と二人きりになった。
柾は佳之子と一言も話さずに母が来るのを待った。佳之子と話したい気分では無かったからだ。

次の日
柾は母と佳之子の三人で木之本の家に行き、柾が大事にしていたカードを取り戻すことができた。
佳之子が木之本に謝り、木之本の母が息子を宥めていた。

カードは柾の手に戻ってきたが、佳之子の行動に対するわだかまりは消えず、後日父に自室に鍵をつけるようにお願いした。
家族に対して壁を作るようで本当はやりたくはないが、今後佳之子が自室に入り大切にしている物を触れるのを防ぐためでもある。
高校生になった柾は佳之子と口を利くことがめっきり減った。サッカー部に入り練習に忙しくなったことと、 佳之子もお洒落や友達との付き合いに夢中になったことが要因であった。
自室に鍵をつけたこともあり、佳之子が部屋に入ることはもう無かった。万一鍵をかけ忘れても同じだった。
柾はほっとした。佳之子が自分の私物に触れなくなったことが。

それから時は流れ、柾が大学に進学するのに伴い一人暮らしをすることになった。
荷物の運び入れや家具の配置は終わり、残るは柾の私物だけとなった。こればかりは業者に任せたくなくて自分で入れた。
お気に入りの本やカードを取り出し、新品の机や棚に収納した。
「……ん?」
一枚の封筒が隅っこに入っていることに気付き柾は取り出した。
表紙には「お兄ちゃんへ」と書かれている。見る限り佳之子の字である。
「いつの間に……」
柾は呟き、封筒を開封して中を開いた。
『お兄ちゃんへ
口で言うのが恥ずかしいので、手紙でつづります。
まずは大学進学おめでとう、お兄ちゃんなら受かると思っていました。
そして沢山迷惑かけてごめんなさい。お兄ちゃんの気持ち考えてなかったと反省しています。
体に気を付けて頑張って下さい、 応援しています』
「佳之子……」
手紙を読み終え、柾は妹の名を呼ぶ。
振り返ってみると忙しいことを口実にしてろくに会話をしていなかったと思った。
佳之子も成長し善悪の分別はできているはすだ。
柾は持参した携帯電話を取り出し、佳之子にメールを打つ。
『手紙読んだよ、僕こそ色々ごめん
昔のことはもう気にしてないから、今度の連休帰るからそれまで元気でな』

 

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