新は二人の男子と共にボール遊びをしていた。新にボールが渡ってきて、新はボールを一人の男の子に蹴って渡した。
二人の男の子の名は知らないが、一緒にいて楽しい気持ちになる。
風のように草原を駆け抜け、このままずっと遊んでいたかった。
しかし、新の思いとは裏腹に、どこからともなく音が聞こえてきた。いつも使っている目覚ましの音だ。
楽しい新の夢はそこで終り、目覚ましと共に現実に戻らざる得なかった。
目覚ましを止め、新は瞼を開く。
「……はぁ」
新は重々しくため息をついた。これから始まる一日を考えるだけで憂鬱だからだ。

身支度を整え、新はリビングに来た。
「おはようございます」
新はキッチンで料理を作っている継母である椿に丁寧な挨拶をした。新の実母は新が小学一年生の頃に交通事故で亡くなり、椿が継母になったのは二年前である。
「用意してあるから食べなさい」
「……はい」
そっけない椿に、新は短く返事をする。
新は椿を母親として認められず。椿も新を認めていないのだ。
新は自分の席につくなり、新は暗い顔になった。いつもと同じで朝食の量が少ないのだ。お昼まで持たないのは明白である。
が、新は椿に抗議せず、大人しく食べることにした。一度言ったことがあったが、夕飯を抜かれ空腹に苦しんだことがあるからだ。
………休み時間に水を飲もう。
新はそう決めた。新が日課で行っていることで給食時間までをしのぐ手段である。
「おはよう、ママ」
女の子の声がリビングに飛び込んできた。一つ年上の清美だ。
「食事はできてるから」
「今日は何?」
「キヨちゃんが好きなスクランブルエッグよ」
「やった!」
二人の楽しそうな会話に、新はほんの少し羨ましさを感じた。
父親である護は朝早く出てしまい、平日は話すこともできないからだ。休日も仕事の疲れからか寝ていることが多い。
新の隣に清美が座り、椿が食事を持ってきた。新よりも明らかに量が違っていた。椿が自分の子でない新に対する仕打ちなのだろう。
分かってはいても、新の惨めな気持ちが一層強まった。

お腹も心も満たされない朝食を終え、新はマンションの玄関を出て外を歩き始めると「ねぇ」と声をかけられる。
新は足を止め、振り向くと清美がいた。清美は毎朝新に絡んでくる。
嫌な予感しかしないと、新は思った。
「……何でしょう」
新は敬語で訊ねた。清美が年上ということもあるからだ。
清美は冷淡な顔をしていた。
「あんたさ、いつまで家にいんのよ」
清美の声からははっきりとした悪意が伝わってきた。新はいらないと言わんばかりに。
しかし、新は言い返さなかった。清美に反論したことがあったが、清美に二階の窓から落とされそうになったからだ。
「だんまりしてないで何か言いなさいよ」
清美は新の体を軽く突き飛ばす。しかし新は石のように黙り込む。このまま何も言わなければ被害は少なくて済む。
新が口を出せば苦痛の時間が長引く。二年間の中で新なりに考えた回避手段だ。
清美は母同様に新を家族と認めていないため、新に当たるのだ。
「早くさっさと出ていけよな、このお邪魔虫!」
気が済んだのか、清美はきつい言葉を吐き捨てて去っていった。
「……ぼくも出ていきたいよ」
新は小さくなる清美の背中に向かって消え入りそうな声で口走る。
できることなら直ぐにでも最悪な今の家から出ていきたいと新は思った。
しかし護は椿のことを大切に思ってるらしく、護は椿と一緒にいて楽しそうに笑いあっている。
護に心配かけられないのと、護の幸せを壊したくない思いから、新は自分が置かれている状況を護に言えないのだ。
滅入った気分のまま新が歩き出そうとしたその時だった。
「……大丈夫?」
初めて聞く女の子の声だった。女の子は新の横にいつの間に立っていた。
腰まで伸びきった黒髪に、人目を引く可愛い顔立ちをしている。
こう言ったら失礼だが、清美よりも女の子の方が可愛い。
「……あ、はい」
新は気丈に答えた。知らない顔だが見た感じは新と同じ年代だろう。
女の子に清美とのやり取りを見ていた可能性がある。
「あの、今の事は誰にも言わないで下さい」
新は女の子に言って走り去った。
気恥ずかしさと、見知らぬ人でも気にかけてくれる人がいてくれた嬉しさが新の心に入り交じった。

二時間目の授業が終わり、新は人気の少ない場所で水道の水を飲んでいた。
少量の朝食では足りないのである。
「……ふぅ」
お腹に水が溜まったと感じ水道の蛇口を止める。給食時間までに空腹をしのぐために新にとって必要な事なのだ。
今は人の目についていないが、過去に何度か先生の目に留まり、水を飲んでいる理由を聞かれたことがあるが上手く誤魔化した。先生にも家の状況を打ち明けることはできないのだ。
新は服の袖で口を拭おうと腕を近づけた時だった。
「はい、これ使って」
新の横には朝会った女の子がいた。女の子の手にはハンカチがある。
「いいんですか?」
新は恐る恐る訊ねる。女の子は軽く頷く。
新はそっとハンカチを手に持ち、口を拭った。
「……有難うございます。これは洗って返しますから」
新は礼の言葉を述べる。
「気にしなくても良いよ」
「でも……」
新はどう返答しようか迷った。すると女の子は新の顔を覗き込む。
「……きみにはもっと困っていることがあるんじゃない?」
女の子は意味深なことを言った。
「え……」
「私はきみを助けるためにネバーランドから来た使者なの」
女の子は真剣な顔つきになった。話についていけず新は困惑した。
ネバーランドはピーターパンの世界に出てくる国である。ピーターパンはあくまで架空の話で現実には無い。
「ネ……ネバーランド?」
「いきなり言われても困るよね」
女の子は新の気持ちを汲み取るように言った。
「きみは不思議な夢を見ているはずだよ」
女の子に言われ、新はすぐに理解する。
「ああ、知らない場所で遊んでいる夢は見てます。今日も見ました」
「それなら話が早いよ、きみはネバーランドに行く資格はあるわ」
「どういうことですか、ぼくを助けるためにネバーランドに連れていくってことですか」
新のことを心配したり、ハンカチを差し出している所を見る限り女の子が悪そうな人には見えないが、新は少々怖くなった。
「言葉で説明するのは難しいから実際に連れていってあげる」
女の子は新に手を伸ばす。
「……痛い思いをしませんよね」
新の声色は不安に染まる。今の家で良い思い出を探すのが難しいほど、新の記憶には辛いことしか思い返せないからだ。
もし連れていかれる場所でも更なる困難が待っていたら心が潰れる。
「心配しないで、とても楽しい所だから」
女の子は朗らかに言った。
「そうだ。自己紹介がまだだったね。私は司よ」
「ぼくは宮野新です。宜しくお願いします」
不安が心に込み上げる中で、新は司の手に自分の手を重ねる。
「宜しくね、宮野くん」
司の声には今の家では感じられない温かさが伝わってきた。
新の視界は突如真っ白い光に覆われる。

数秒後、水道の代わりに草原が新の目に映った。新は落ちつきなく周囲を見回した。さっきまでは学校にいたのに、違う場所にきたからだ。
「ここは、どこですか?」
「ネバーランドよ」
司は笛を口に含んで鳴らした。軽快な音が響き渡る。すると二人の子供が現れた。
二人は男の子である。
「何かあったのか?」
「うん、彼にネバーランドを体験してもらいたくて連れてきたの」
男の子の問いに司は答える。
「オレらの仲間か」
一人の男の子は言った。もう一人の男の子は新をジッと見つめる。
「こいつ痩せてねーか、ロクに食べてねーだろ」
「おい、やめろよ」
男の子がもう一人の男の子を止める。
「駆くん、来た所申し訳ないけど、彼に食べる物を用意してくれないかしら」
「それならお安いご用さ!」
駆と呼ばれた男の子の声色には自信が満ちていた。
駆は元来た道を走り抜けていった。
「駆のことは悪く思わないでくれ、あいつの失礼はオレが謝る」
「いえ、良いんです。痩せてるのは本当のことですから」
「そういえば名前がまだだったなオレは理だ。あんたは」
「宮野新です」
新は礼儀良く言った。
「そんなかしこまらなくても良いんだぞ、オレと年近そうだし」
「……ぼくは十一歳です」
「司がオレと駆を呼んだのが分かったよ」
「それじゃあ……」
「オレと駆も十一歳だ。宮野とは仲良くなれそうな気がするよ」
理は活気のある声で言った。新も理とは仲良くできそうだと感じた。
「なあ、司、宮野にはこのネバーランドがどんな所か説明したか」
理に聞かれ、司ははっとした表情になる。
「実際見てもらった方が信じてもらえると思って、詳しくは説明してないわ」
司は急に自信がなさそうな態度になった。
確かに説明は司から聞いていない。
「ごめんなさい、宮野くん、ネバーランドのことちゃんと言わなくて……今からちゃんと説明するわ」
「あ……はい」
司はネバーランドのことを話し始めた。
ネバーランドは主に家庭で問題を抱える子供が集まって暮らす現実とは異なる国で、現実世界からネバーランドに連れて来る使者はネバーランドに住む子供である。
子供たちは司や駆と理を含めて全部で五十人はいる。
ここの住人になれば元いた世界では自分の記憶や私物は一切消えることなどが司の口から語られた。
「こんな所かしら」
「五十人って多いですね」
「ここには様々な理由で子供が来るんだ、オレは家でイヤな思いをしたからな」
理の声色は暗かった。
そんな時だった。駆が両手に一杯の食べ物を持って現れた。
「お待たせ!」
「おいおい、幾らなんでも多すぎないか」
「これくらいは食えるかなと思ったんだよ、そいつは痩せてるしな」
理は突っ込みに対し、駆は堂々と言った。
「駆くんの気持ちは分かるけどね。宮野くんが沢山食べれるとは限らないわ」
「そうなのか?」
「宮野くん、ちょっと来て」
司は新に手招きをした。新は進み駆が抱える食べ物の山の前に立つ。
バナナ、りんご、ぶどうなどの果物やチョコ、ポテトチップス、クッキー等のお菓子がある。
「宮野くんが食べれそうな物を選んでいいよ、ただし無理は禁物よ」
司は穏やかに言った。これだけの量を見たのは小学三年に父にホテルでのスイーツビュッフェに行って以来だ。
あの時は甘党の父と共にケーキを沢山食べて、美味しいという気持ちを共有できて幸せだと感じた。
二年後の今はろくに食べれていないが……
「本当に食べて良いんですよね?」
「変に遠慮すんなよ」
新の心配を、理が払うように言った。
新は生唾をごくりと飲み込み、目についたバナナを一本手に取った。バナナの皮をむき、バナナを頬張る。
「……美味しい」
バナナを胃に納めた新は呟いた。久しぶりに食べたバナナが心の底から美味しく感じられた。
今の家では清美しか食べるのを許されないからだ。
「バナナはまだ残ってるぞ」
「う……うん」
理に言われ、新はバナナをまた一本食べる。
「ごちそうさまでした」
二本目のバナナを食べきった所で、新は食べるのを止めようと決めた。
これ以上食べるのはいけないと感じたためだ。
「もういらないのか?」
「駆さんの気持ちは嬉しいですけど、ごめんなさい」
自分のために食べ物を運んでくれた駆に悪いと思いつつ、新は言った。
「でもぼくのために有難うございます」
「ちょっと言い方が堅苦しいな」
「駆くん、そんな事言ったらダメよ、宮野くん緊張してるのよ」
駆の失言に、司が補足した。緊張してるのは確かだ。
三人が同年代で敬語を使うのも、学校に友人がおらず彼等とどう接して良いか分からないためだ。
「それより、宮野を案内しないか、ネバーランドの見学のために連れてきたんだろ」
「そうだったわね」
司は新に目を向ける。
「宮野くん、ネバーランドを一緒に回りましょう」
「はい、宜しくお願いします」
新は三人とも共に草原を歩き始めた。

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