暑い夏の夜、颯真はベッドの中に潜り込んでいた。
「暑いな」
颯真は呟く。
部屋にはクーラーはあるが、寒くなるのが苦手なので扇風機を使用している。
眠ろうと瞳を閉じたものの、眠気はやって来ないため、颯真は起き上がり近くの窓を開けて空を眺めた。
赤くて神秘的な月が輝いていた。
「今夜は赤い月か……」
颯真は言った。
颯真は小さい頃、赤い月が怖くて仕方なかった。色が毒々しくて見るだけで嫌な気分になるからだ。
赤い月を見るたびに怖がるため、姉の柚葉には随分からかわれたものだ。そのためますます赤い月が苦手になってしまった。
「赤い月はもう怖くねーよだ」
颯真は過去の記憶を笑い飛ばした。
大人になった今は赤い月を見ても怖いとも思わないし、むしろ綺麗だと感じる。
婚約者の日和と一緒に見て笑い合えるようになった。
「大人になったよね、颯くんは」
聞き覚えのある声に、颯真は後ろを振り向いた。
そこには姉の柚葉が立っていた。
「ゆ……柚姉」
颯真は驚きを隠せなかった。
颯真はアパートで一人暮らしをしており、柚葉がいるはずがない。
「颯くんの部屋にいるのも、赤い月の力のお陰なんだよね!」
柚葉は明るく言った。
普段は外の世界では仕事のできる大人の女性だが、家族の前では子供っぽいことを口走る。
家族を楽しませるためだというのは颯真も分かってはいるが、ついていけない時もある。
「あとこの石の力が増幅したんだね!」
柚葉は首にかかっているペンダントを手に持った。
柚葉は成人した今も占いやスピリチュアルなどを信じてはラッキーカラーやグッズを買い漁ったりしている。
ペンダントもその一種であろう。
どっちにせよ不可解な現象が元で目の前に姉がいることは確かだった。
「こんな夜中に何しに来たんだよ」
颯真は呆れ混じりに訊ねる。
柚葉は口元を緩めて、颯真に近づいてきた。
「一言で言えば颯くんの顔が見たくなったの、もうすぐ結婚してますます会えなくなるのも寂しいかなって」
柚葉は言った。
一人暮らしを始めてから家族に会う機会が減少しているのは確かである。
結婚すると更に減るであろう。
「……だから俺に会いに来たのか? 変なな力を使って」
「分かってるわよ、迷惑だってことぐらい、急に来たりして悪かったわ」
柚葉は声色を曇らせる。
柚葉の表情からして、颯真の言っていることは承知しているようだった。
夜中の訪問など非常識だからだ。
柚葉の顔はすくに明るさを取り戻した。
「それより月見ない? 今日は特に綺麗なんだしさ」
「なっ、おい!」
「ほーら早く」
柚葉に背中を押され、颯真は窓の所に来た。
柚葉は颯真の横に立った。
「いい月ね」
「ああ」
「一緒に見るのも久し振りね」
「そうだな」
柚葉の問いかけに、颯真は淡々と答えた。
月を眺めるのは数年ぶりである。
「とうとう颯くんも結婚か~姉としては嬉しいな」
柚葉の声色はどこか寂しげだった。
少し前に彼氏にふられ、今はフリーである。
「そんな言うんだったら新しい相手見つけろよ」
颯真は言った。
柚葉は颯真が羨ましくて口走るんだと思ったからだ。
が、柚葉はむっとした顔になる。
「簡単に言うけど、心の傷は簡単には癒えないの! それに今は仕事第一なんだから!」
柚葉は言い返した。
柚葉が相手と別れた理由はお互い仕事が多忙で気持ちのすれ違いが生じ、話し合いでは修復できなくなったためである。
失恋した時は夜中にも関わらず颯真の家に押し掛けてきて、飽きるまで彼氏のことを延々と語った。
柚葉は人差し指を颯真に向けた。
「まさかだと思うけど日和さんにデリカシーのないことを言ってないわよね?」
柚葉の声は鋭い。
「い……言ってねーよ」
「本当に? アンタは変な所で配慮がないからね、そこんトコ気を付けないと」
柚葉は日和のことを「素敵な人」と評価していた。
結婚を反対気味だった母を説得したのも柚葉である。
その辺は感謝している。
「分かってるよ、日和は大事にするから……んな怒んなよ」
「なら宜しい」
颯真の言葉に、柚葉は納得した様子だった。
柚葉には逆らえない……と颯真は改めて思った。
「そろそろ帰るわ、二人が心配するといけないから」
柚葉は言った。
二人とは一緒に暮らす両親のことである。
「夜中は危ねーって、朝になるまで待てよ」
颯真は柚葉の身を案じた。
夜中に女性の一人歩きをさせるのは危険である。
「大丈夫よ、音もなく現れることが出来たんだから、帰ることもできるわ」
柚葉は窓に背を向ける。
「今夜は楽しかったわ、結婚式も同じくらい楽しみにしているわ」
柚葉が笑った瞬間、柚葉は空気のように消え去ってしまった。
唐突なことに、颯真は戸惑った。
柚葉は風のように現れ、同じように姿を消したからだ。
「何だったんだ? 一体……」
颯真は困った表情をした。

次の日の昼休みに颯真は実家に連絡をいれた。
すると柚葉は風邪をひいてたらしく、三日は寝込んでいたのだ。その間颯真の結婚式には間に合わせたいとうわ言を呟いていたという。

その夜、颯真は電話で柚葉に先日のことを話すと柚葉は納得した様子だった。
『あー多分幽体離脱したんだと思うわ、颯くんへの想いが強かったから
……確か一緒に月を見たり、日和さんのことを聞いたりした気がするわ』
昨日のやり取りを正確に覚えていることに感心し、颯真は「ああ」と言った。
「……もう大丈夫か?」
颯真は訊ねる。
風邪が治ったか気になった。
『心配いらないわ、ごめんね色々迷惑かけて
結婚を機に弟離れしないと駄目ね、でなきゃ日和さんに悪いし』
柚葉は謝った。
柚葉には過去に様々なことで助けてもらっているので、その辺は感謝の意を抱いている。
弟を想う柚葉の気持ちは颯真も分かっている。
結婚してからもそれは変わらない。
「あのさ」
『何?』
「新居に遊びに来いよ、勿論アポは必要だけどな」
颯真は爽やかに言った。
新居には颯真の家族を喜んで歓迎するつもりだが、本当に遠慮がちになりそうな柚葉の不安を取り除きたかった。

赤い月の日に起きた不思議な出来事は
姉弟の絆を縮めたのだった。

 

戻る

inserted by FC2 system